日本の美「弥勒菩薩」

01.19

bosatu

弥勒菩薩(京都広隆寺)

弥勒菩薩は、未来に下界に降(くだ)って仏となり、衆生(しゆじよう)を救うとされる菩薩です。慈氏(じし)菩薩ともいいます。釈迦(しやか)の滅後5億7600万年後(中国の伝承では56億7000万年後)に、釈迦の救いに漏れた人たちを救いに降りられます。現在は兜率天(とそつてん)にて、その機を待っています。『弥勒下生経(げしようきよう)』によると、弥勒は兜率天より閻浮提(えんぶだい)を観察し、翅頭(きとう)城の大臣を父母として選び、母の胎内に降り、その右脇(わき)より生まれ、三十二相を備え、竜華樹(りゆうげじゆ)の下で悟りを開き、摩訶迦葉(まかかしよう)から釈尊の衣を受け取り、三度にわたる法会(ほうえ)で300億近くの人を迷いから救うとされます。『弥勒下生経』に対し『弥勒上生経(じようしようきよう)』は、衆生(しゆじよう)のほうが弥勒の国土へ赴くという考え方で、阿弥陀仏(あみだぶつ)の極楽浄土(ごくらくじようど)への往生(おうじよう)の考え方と共通点をもちます。弥勒という名は、一般にサンスクリット語のマイトレーヤMaitreyaの訳語とされていますが、直接にはインドのクシャン朝の貨幣に現れるミイロMiiroに由来すると思われます。Miiroの最後に気音□がついて、roh.が勒(ろく)で表されたと考えられます。ミイロはイランの太陽神ミスラMithraの方言的発音です。ミスラはインド古来の神ミトラMitraと起源を同じくし、Mitra(友)の派生語maitreya(情けある)を通じて、「慈氏」菩薩へと転化します。ミイロが貨幣に現れる比率は多く、クシャン朝下のミイロ信仰の隆盛がうかがわれます。ガンダーラで片岩で刻まれた水瓶(すいびよう)をもつ菩薩は弥勒と思われます。西暦400年ごろ法顕(ほつけん)はパミール山中で巨大な木造の弥勒像を目撃したことを旅行記に記しています。敦煌(とんこう)や朝鮮でみられる弥勒の交脚像、思惟(しい)像はすでにガンダーラに祖型があります。日本では中宮寺(奈良)と広隆寺(京都)の弥勒菩薩像が有名です。

この写真の、国宝第一号広隆寺(京都)の弥勒菩薩像は、聖徳太子ゆかりの仏像で、一生に一度は拝んでおきたいお姿です。この御像と同じ部屋に『大和古流の「躾」と「為来」』P.118に語りました聖徳太子像がいらっしゃるのです。拙の大変好きなお姿をじっくりとお楽しみ下さい。

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