法螺貝
法螺貝は日本最大の巻き貝で、日本列島の紀伊半島以南の熱帯西太平洋からインド洋にかけて分布するものです。主にサンゴ礁の潮間帯下に生息します。褐色、紅色、白色の半月形の斑紋が交互に表われ、ヤマドリの羽状文様が表われます。

 古来、ヤマドリを(魔を破る鳥)として、その羽を矢羽に好んだところですが、その理と同じくして法螺貝の鳴音を魔を破る音として戦いの場の陣貝としたり、降魔の儀式の約束の音ともされました。戦陣においては、陣太鼓とともに合図、戦意を高めんが為に用いられてきました。
法螺貝は短く「貝」とも呼びます。一〇〇年ごろ北西インドで編纂され、浄土教の根本聖典にもなっている『大無量寿経』に法鼓(太鼓・鉦鼓)と法螺貝が登場いたします。古来からの力を宿した法螺貝術の継承であります。


大和古流友常家長男聖武により、西行法師所持と伝えられる神秘の古法の法螺貝が音魂霊を発します。一九九八年フランス国における第一回国際武道大会を初陣としてここ名古屋能楽堂の儀式に臨みます。この法螺貝による開幕の儀が無事に行じられて初めて本義が執行されるのです。儀式のための音魂霊のため、試し吹きは許されず本番のみの一命をかけた真剣勝負なのです。儀式の場に列席された諸氏は幸運です。古来、秘儀秘伝の行事にて非公開でありました。新しい世紀を迎えるにあたって、《大和心の和らぎの精神こそが世界を結ぶ鍵である》との確信から、現当主の決断により、公開としたものであります。魔を払い勝神を呼ぶ時空を存分に体験して下さい。

礼と礼節

礼というのは、とても重要でありむずかしいものです。日本武道・尚武の道は“礼に始まり礼に終わる”と言われますが、その礼とはいったい何なのか。ここが問題です。
日本の礼とは「ゆかしさ」の形であり、言うに言えない人間の本質的内面を表に出す形です。礼節とは、いつ、どのような所で、どのようにすべきかという実践の礼を示します。「おじぎ」とは、現代は体を屈する形を表していますが、実は謙虚に辞退することです。屈体をする日本的ゆかしさの形に、「おじぎ」という名称が後につけられました。
この世の(地球の)全ての魔(悪しきもの)を払い去るための、弓術の儀式に際し行われる礼は、『四方拝』という形のものです。東・西・南・北、四方神に礼を尽くし、その神秘の力をいただくのです。そして天地を拝し、天地四方拝は完成されます。このあたりで、人は人でなく、神の神意の依代となり、神儀が神域に行なわれ、神技が示されるのです。二千六百五十余年継承されつづける日本礼儀の根元であります。
この儀式には、さまざまの礼の形が示されます。その一つ一つに深い意味があり、筆紙に尽くせない世界でもあるのです。大和古代から継承される実際の姿をご覧下さい。まさに大和人の奥ゆかしさの姿であります。






  大和古流弓術奥義『降魔射の儀』



友常家が代々一命をかけ極秘裡に護持してきた大和古流は、日本古来の文武の道である。故事来歴をはじめ礼法、兵法、弓法、大和歌道(やまとうたのみち)、入木道(じゅぼくどう)、香道、茶道、華道、和笛など、文武の多くの家伝を当主一個人の内に修める掟となっている。全ての道において心法(こころののり)を一番重要なこととし、正師より伝えられる正道を宗としている。
友常家はもともと『橘』氏で、“敏達天皇の後胤、橘諸兄(たちばなのもろえ)が遠孫…”と名乗りを上げる家柄で、古来、橘流弓法の家として名をなしたところである。神武天皇東征に始まり、聖徳太子が日本国平定のため物部守屋を射抜いた神秘の弓矢を、『上司(じょうす)の法』として代々継承している。

南北朝時代、遠祖が吉野朝に伺候して以来、奥義は極秘裡に継承されていた。平成時代の幕開け『日本国平成国開(くにびらき)の儀』が日本三大稲荷の一つ、笠間稲荷神社において施行された際、当代二十一世貴仁の決断により奥義を初めて公にすることとし、昭和天皇即位の御大典の儀に使用された矢が日本国守護の矢として甲乙放たれ、虚空に鳴り響いた。本日披露されるのはその弓法奥義である。

ENGLISH
和訳文



大和古流は心法による日本の古式の神武の原形を、厳正な理法の練磨と体足の運用の内に伝承し、日本尚武の真髄を守ることを使命としている。
 一九九七年、エジプト国の要請により、ギザ世界最大ピラミッド王の間において古代の儀式を執り行い新世紀の世界の調和を願い、【地球守護之矢】を誕生させた。この儀式については、『もう朝だぞ!』に詳しく認めてある。歴史的事実の目撃者は、スフインクスである。
 一九九八年、フランス国において第一回国際武道大会の開幕之儀を執り行い、大和の真の心根を示現し多くのヨーロッパ人の賞賛をうけた。
『エジプトの神秘』へ  一九九九年、ここ名古屋能楽堂において、大和心の真の力を結ぶため、【大和心守護之矢】を誕生させることとなった。この儀式には、多くの人々の純真な力が結び合っている。

   奇跡は、三度おきる。





 

 五色の幕

 

矢止めとして五色の幕が用いられます。紫・白・赤・黄・緑(黒の代わり)の一つ一つの色に意味があり、それは天にめぐる五つの惑星を表します。木・火・土・金・水、宇宙の全ての事象の根元を表しています。 すなわち五色の幕は、矢を止めるのではなく、久遠の虚空に放たれる無限の空間なのです。
まず、・・・、の五色を五正色といい、インドの教団では礼法に用いてはならない色とされました。これに対し、緋・紅・紫・緑・い黄をといいます。仏教では、白を信色、赤を精進色、黄を念色、青を定色、黒を慧色として、(信ずること)・(精進の努力をすること)・(記憶すること)・(精神統一)・(知恵)という悟りの境地を得るためには優れたはたらきのある五根に対応させています。当家には、神仏キ、三教合わせた理が伝わっているので、まことに秘中の秘のことなのであります。

 当家、弓術奥儀執行の際用いられる秘伝の『矢止め幕』です。



 虚空に放たれる、神頭矢を依代として神の聲が、全宇宙に響き渡ります。まさに、神秘の力、聖なる力を感じる一瞬です。五色の幕に神頭矢が当たり幕全体が宇宙の太鼓となって私たち人間に言葉で言い表せない何かを感じさせます。

今儀式には装束としてを用います。儀式は、只、古いばかりでは意味を持たず、今の今に生きなくてはなりません。

古式の装束を用いる儀式も多く残りますが、現当主として、今の今に有効な生きた儀式をするため、江戸時代武士の礼装とされた裃を用います。この裃は現代日本でも、日常儀式に民間でも用いられている生きた正式礼装であります。当家で守り続ける御技を過去の遺産としたくない一心から誤魔化しのきかない、素おもて同様のその人物そのままがうつる行者としては、一番怖い装束です。

を脱ぐ作法も古式で、神の依代となる姿を表しております。




『日本武尊物語』へ


大和歌奉上 

スサノヲが下界へ降臨され、八岐大蛇を退治する時、女装をして相手を安心させ、強き酒をふるまい、酔わせて力をそぎ、戦ったのでした。そして再び災い(災いの復活)のないよう、大和の言の葉の神力により封じられたのです。

 すのおのお…・・

 やあ

   えい

     おう

       とう

         うむ

 その後、の衣装をまとい女装した日本武尊は、国を偲んで詠います。

   大和は国のまほろばたたなづく

      青垣やまこもれる大和しうるわし

この絶唱にこそ大和心の真髄がこめられております。

草薙御神剣

スサノヲは、イザナギ・イザナミの子としてイザナギ尊のの時にヒルミ尊・ツクヨミ尊とともに現れました。大変に力(神秘の力)の強かったスサノヲ尊は勝におごりを重ね乱行をつづけたのでした。ヒルミ尊はついにこの乱行に堪えかねに隠れ、全世界に暗黒の時が流れました。この罪によりスサノヲ尊は多くの神々に追放され、下界へと降臨します。その降臨にあたり、数々の苦難を体験され苦行を乗り越え、他に災いをおよぼすの本性を越えて、その神秘の力を他の為となるの本性を備えられました。この時の難行苦行を体験されたことを“たしなまれる”と申します。「たしなむ」という大和言葉のはじまりであるのです。たしなんでいるといえば、苦労しているということなのです。その道の為に苦労しているということが、たしなむということです。下界では、まず、(鉄文化の象徴)を退治します。その折、八岐大蛇より出現するのが(大蛇の上には常に雲気があったための命名)であります。この神剣は後に、ヒルミ尊に奉献されます。そして、後の世、が、とと(、その昔、とよばれた。)を授けられ、降臨(天孫降臨)されました。後にと、は伊勢の神宮に祀られておりました。この御剣は、景行天皇皇子であるヤマトタケル尊が東国攻めの時、伊勢の斎宮・倭姫から渡されます。ヤマトタケル尊は、初めと名乗っていました。尊は、の討代の折に、おばごであるの衣装で女装し、熊襲建に近づきこれをたおしました。その時、熊襲建よりという名を奉献されたのです。その帰り道、を偽刀の計で倒し、山、川、海峡の神々を従わせ、父天皇のもとへ戻りました。しかし、天皇は、無事の帰還を労わず、その直後、東国征伐を命ぜられたのです。「天皇は私に早く死ねと思っておられるにちがいない」と嘆きつつ、伊勢の神宮に奉仕するおば、倭比売を訪ねました。その折、神剣と、火打ち石の入った袋を渡されたのです。にだまされ、野火の難に遭ったとき、この神剣にて火炎激しい草をぎ、難をい、逆に火勢は火を放った方へと向かい、勝ちを得ます。以後、天叢雲剣は草薙剣と称されるようになったのです。無事災難を乗り越えた尊は浦賀水道において、海が荒れ狂った時、最愛のが入水し、荒魂霊を鎮め、無事上陸東征をなせました。ヤマトタケル尊は、帰路の途中、尾張国造の娘、ミヤズ媛と契りをむすびました。ヤマトタケル尊は、慢心から御神剣を尾張のミヤズ媛のもとにとどめて、山神との戦いに臨みます。この慢心によって尊ともあろう武勇のが伊吹山の神の妖力により山神の正体を見誤った尊は大氷雨に打たれ、深手を負い、伊勢のにて、お隠れになりました。ミヤズ媛は占いにより、の熱田に社地を定め、草薙剣を祀ったのです。尊のは、白き鳥となり不死鳥のごとく甦りました。このあたりの物語は、拙著『千年の四季』をご覧ください。

天智天皇七年(六六八)にはこの神剣は盗まれます。(記録によれば取り戻されたことになっております。)この事件の後、御剣は、熱田神宮より宮中にとどめおかれたのです。しかし天武天皇十五年(六八六)、天皇が病にかかった時、草薙剣の祟りであるとが出て、熱田社にまた戻されたのでした。この御剣には、多くの秘話が伝えられます。

をひっくり返しとなす

当家では、この神力が草薙剣のに秘され傳えられております。今回、初公開致します草薙剣の刀法は、まことに未知の扉を開く、古代からの傳言を秘めているのです。

 鏑矢・神頭矢

・矢の儀は、歴代大和古流当主だけの秘儀で、他見他言の許されないものでありました。降魔矢が虚空に放たれるのは、全ての結果であり、その一瞬に長期間にわたって多くの儀式が繰り返され、一本の矢に神秘の力を宿しております。
神頭矢と言いますのも、神様の頭の矢ということで、神様の心・真意を開く矢という意味です。用います矢は、日本天下一の江戸御矢師・石津巖雄氏(八十一歳)制作による品で、古来の約束を守る重要なものです。矢羽も特別な鳥の羽を用い、竹の節の数にも意味をもつものです。

しかし、石津氏のこの大切な伝統も後継者がいないため、終焉を迎えることとなります。これは今、皆様の御前に存在する大和古流当主の儀式も継承不可能となる時がせまっているということでもあります。

 

草薙御神剣を御祭神とする熱田神宮の地でこの儀式が執行されることの意味は甚大です。平成十一年旧暦三が日神宮参拝し、新年の身を清め今儀式に臨んでおります。本日未明熱田神宮の聖地において、【御神剣魂霊降臨之儀】を執り行いました。四方八方を払い天地を払い清める聖なる太刀風の聲の響く世界に身をおいてください。






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